2009年08月09日
車屋町通を歩く
南は姉小路通から北は丸太町通までの約800mの通だ。一筋西は烏丸通である。 ちょうど亀末広という京菓子の老舗の横(写真)、新風館(旧京都中央電話局跡)の北側から歩き出した。
この通りも秀吉の京都改造計画によって作られた通りの一つだが、これより南の通りは一端ここで途切れて、平等寺(因幡堂)の前からは不明門通として再び南下している。 通り名の由来は、この通りに輸送業者や車鍛冶が多く住んでいたからだという。
->京都の通り
この通りも秀吉の京都改造計画によって作られた通りの一つだが、これより南の通りは一端ここで途切れて、平等寺(因幡堂)の前からは不明門通として再び南下している。 通り名の由来は、この通りに輸送業者や車鍛冶が多く住んでいたからだという。
->京都の通り
歩き出すとすぐに御池通に出る。こんなところに?と言うと失礼だが、御池通との交差点(東北角)に公団の御池アパートがひっそりと建っている。しばらく、ビルと町屋が同居する静かな通りを歩いていると、押小路通と二条通の間くらいに尾張屋(そば処)がある。ここの名物は「宝来そば」だ。蕎麦好きなら、一度ご賞味あれ。 尾張屋の斜め向かい側には薬屋の老舗・雨森敬太郎薬房がある。御所の御典医を努めていた雨森良意が作り出した腫れ物に効く膏薬で有名だが、今も売られているのだろうか。
通りは御所に突き当たって終わりとなる。丸太町通の角に八百林という店がある。その日は、ここで珍しいアメリカ産の大きなサクランボを酒のあてに買って帰った。
通りは御所に突き当たって終わりとなる。丸太町通の角に八百林という店がある。その日は、ここで珍しいアメリカ産の大きなサクランボを酒のあてに買って帰った。
Posted by koyuki at 15:01│Comments(0)
│京の通りを歩く
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。