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Posted by さぽろぐ運営事務局 at

2022年01月31日

京都散歩と言うお店をオープンする予定ですl!

突然ですが、今年中に(秋頃になっると思っていますが)、小さな鯛焼きやさんをオープンさせるべく動き始めています。オープンしたら
徒然に、と徒然2、3で報告しますので、是非いらっしゃって下さい。 なぜ鯛焼きやさんかは後程打ち分けさせて頂きます。
移動タイプの車での販売になるか、小さなお店になるかは未だ未定です。 粒あんのあんこは自家製で、焼き型は天然もの(1匹づつ焼くタイプのもの)を使う予定です。 ある程度、軌道に乗ってくれば、ベルギービールの樽生(まずはホワイトビール辺りから)飲めるようにして、京菓子でアテになるようなものを提供しいていければと思っています。
よろしくお願いします!  

Posted by koyuki at 22:31Comments(0)京の通りを歩く

2018年02月04日

京菓子?

Step1
 京都へ行く前に、ここでまず、お寺や神社(庭や花など)を名前で検索してみたり、エリアで一覧を表示させたりして、目的の場所を下調べしておきます。 せっかく歴史のある古都へ行くのですから、何も下調べなしで観光するのは「もったいない」。 修学旅行は勿論のこと、ご夫婦で行くシルバー旅行でも!

 例えば、弘法大師が建てた「東寺」を調べたいのなら、このBlogの左下にあるタグクラウドで、洛南洛外エリアをクリックする。 次に表示されたリスト(お寺の一覧)から弘法さんをクリックすれば、東寺について、僕が書いた記事と写真が表示されます。

 次に・・・

  

Posted by koyuki at 17:17Comments(0)京の通りを歩く

2009年09月13日

裏寺町通を歩く

 裏寺町通ができたのは、豊臣秀吉が寺町通を造成してからの事らしいが、静と動、今と昔が向き合うようにお寺さんとファッションビルや遊戯施設が向き合う間を通っている。勿論、西側を走る寺町通に対する裏寺町通である。北は六角通からはじまって、南は四条通り(高島屋)までの全長は500mに満たない小さな通りである。

 写真1枚目は、北側の六角通沿いにある鰻の「かねよ」だ。本店は逢坂の関(山科と大津の間)を越える手前辺りにある。写真2枚目が名物のきんし丼だ。普通、きんし丼と言えば、薄焼き卵を細く切ったものが鰻の上に散らしてあるのだが、ここは厚焼き卵がどかんと丼を覆うようにのっかっている。これが熱々で美味しい。久しぶりに食べてみたが、味は変わっていなかった。  続きを読む

Posted by koyuki at 07:20Comments(0)京の通りを歩く

2009年08月25日

西土居通を歩く

 南は九条通より一筋北から、北は仁和寺街道までの約5.1kmの通りだ。途中、JR東海道本線で中断する。 この日は、北から天神通を歩いた後、JR東海道本線の手前で折り返して、歩き出した。 ちょどワコールのビルの裏辺りからだ。 実は最近iPhoneを手に入れた。iPhoneにはNike+と通信する機能が標準で装備されており、以前iPod nanoのときに使っていたNike+(発信器)がまだ使えたので、今回はこれを久しぶりに使ってみた。
 iPhoneのワークアウト履歴を見ると、その日の総歩行距離(天神通+西土居通)は、9.47km、2時間3分、カロリー746となっている。余談だが、今、iPhoneにはまっているので、そのうちBlogにも報告しておきます。

 天正十九年(1591)に豊臣秀吉は、京都に大土堤を築いてしまった。秀吉としては都市防衛のつもりだったのだろう。京都にはその御土居の跡が所々に見受けられる。その御土居の西側に沿ってできあがった通りが、この西土居通であった。
 写真は、高辻通を少し上がったところにある檜児童公園だ。実はこの近くに子供達が通っていた保育園があり、その保育園の運動会などは、ここで行われた。長男が卒園する年には、保護者の会長も仰せつかったことがあり、ここで会長として挨拶をしたこともあるが、今となっては懐かしい日々である。保育園の前を通りかかったら、夏祭りのポスターが張り出してあった。

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Posted by koyuki at 07:20Comments(0)京の通りを歩く

2009年08月20日

天神通を歩く

 天神通(テンジンミチ)は、平安京の時代からあった通りで、その当時は西靫負小路(ニシユキエコウジ)と呼ばれた。北は今出川通から、南はJR東海道本線までの約3.7kmの通りだが、途中、六角通から五条通まで中断している。 今回は北(北野天満宮前辺り)から歩き出した。今出川通との交差点東北角には、豆腐屋・藤野のTO-FU CAFFEがあるが、女性客が多いので一度も入ってみたことはない。
 
 北野天満宮の鳥居の前から南へ下る通りは、御前通というのが既にある。この通りの呼び名は、北野天神にちなむほか、この通りに沿って一ノ保社(時鳥天神)と文子天満宮があったことによる。
 中世においては、有数の酒屋・土倉の富裕層が町を形成したというが、確かに今も昔ながらの家々が立ち並ぶ。中でも仁和寺街道を少し下がったところにある奥渓家の長屋門(写真)は、その昔の町を想像させる。

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Posted by koyuki at 07:20Comments(0)京の通りを歩く

2009年08月16日

東寺通を歩く

 東は鴨川西畔から、途中東寺の境内を抜けて、西は御前通までの2.6Kmの通りだ。八条通と九条通の間を通っている。
 写真は、稲荷大社の御旅所の大鳥居だ。祭りの時は、出店が並んでにぎやかだが、普段は静かな境内である。幼い頃、油小路七条下ルに住んでいた祖母に連れてきてもらった覚えがある。この境内と油小路通を隔てた東側に、この秋(2009年)にショッピングモールがOpenするらしい。ここも不景気の大きな波をかぶって、一時Openが危ぶまれた。Openすれば、この通りもにぎやかになるだろうか。

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Posted by koyuki at 07:20Comments(0)京の通りを歩く

2009年08月10日

間之町通を歩く

 北は丸太町通(御所の前)から、途中姉小路-高辻間で中断するが、南は七条通までの約2Kmの通である。 この日は車屋町通を南から歩いた後、御所で折り返して、間之町通を歩いた。 名の由来は、高倉通と東洞院通の間にできた通りなので間之町通と呼ばれた。
 歩き出してすぐの所に、日本画の大家・上村松篁の屋敷がある。(写真)

 ->京都の通り
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Posted by koyuki at 07:20Comments(0)京の通りを歩く

2009年08月09日

車屋町通を歩く

 南は姉小路通から北は丸太町通までの約800mの通だ。一筋西は烏丸通である。 ちょうど亀末広という京菓子の老舗の横(写真)、新風館(旧京都中央電話局跡)の北側から歩き出した。
 この通りも秀吉の京都改造計画によって作られた通りの一つだが、これより南の通りは一端ここで途切れて、平等寺(因幡堂)の前からは不明門通として再び南下している。 通り名の由来は、この通りに輸送業者や車鍛冶が多く住んでいたからだという。

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Posted by koyuki at 15:01Comments(0)京の通りを歩く

2009年07月28日

日暮通を歩く

 南は竹屋町通から北は中立売通までの約1kmの通りだ。 豊臣秀吉によって建てられた聚楽第の跡地に開通された通りでもある。
 通りの名の由来は、その聚楽第の正門に由来すると云う。その門は、宣教師ルイス・フロイスも書き残しているが、「壮大かつ華麗で、見事に構築されており・・・」、眺めていると日が暮れるのも忘れるほどの門であった。
 残念ながら、今は残されていない。近くを探してみたが、日暮門跡の石碑なども見つけることができなかった。
 通りの途中に佐々木酒造があるが、ここで聚楽という酒が造られており、今でも売られている。(写真)
 そうです。 この日暮通が裏門通の表門側の通りとなる。 なので、表門通というのはない。  続きを読む

Posted by koyuki at 07:20Comments(0)京の通りを歩く

2009年07月25日

岩上通を歩く

 南は塩小路通から北は御池通までの約2kmの通りだ。 今回は南側(塩小路)から歩いたが、塩小路の角には宗徳寺という寺がある。(写真) ここは人形供養でも知られるが、昔から「あわしまさん」と京都の女性からは親しまれ、信仰が篤い。 歩き出してすぐ、西本願寺で通りは一端途切れるが、五条通辺りから続いている。
 この通りの名の由来は、六角下ルにある中山神社(岩上神社)からきているらしい。ここは、子育て(母乳)の神社として信仰されたらしいが、今は近所の人くらいしか知られていないのではないか。  続きを読む

Posted by koyuki at 07:20Comments(2)京の通りを歩く