2009年03月16日
天使突抜通を歩く
天使突抜通は、北は仏光寺通から南は木津屋橋通までの1.5kmの通りだ。 とは言っても今は天使突抜通と呼ぶ人は少ない。油小路通と西洞院通に挟まれた通りなので、一般には東中筋通と呼ぶ。 この天使というのはあのエンジェルのことではない。五条を少し上がったところにある五条天神社は、かっては「天使の社」と言われており、この境内を突き抜けていた通りという意味だった。しかし、今は五条天神の境内は縮小され、通りは五条天神の裏を通っている。
七条通には、大正時代に建てられた銀行を改装して、セカンドハウス(パスタとケーキの店)がOpenしている。(写真)
七条通には、大正時代に建てられた銀行を改装して、セカンドハウス(パスタとケーキの店)がOpenしている。(写真)
今回は、醒ヶ井通を下った後、天使突抜(東中筋)通を南から北へ歩いてみた。 実は南詰めの木津屋橋通付近は祖母が住んでいたところなので、小さい頃からよく泊まりにも来ていて遊んだ町である。このときは通りより屋根を渡り歩いて、よく祖母に怒られたのを覚えている。渡り歩けるくらいだから、殆どの家が平屋だった。その頃あった自転車屋も丸物(駅前の百貨店)も今は姿を消した。
通りは七条通を越えると西本願寺系のお寺と仏具店などが軒を並べる。小学校の裏にある一念寺は、実は父の葬儀以来付き合いのあるお寺さんだ。これも何かの縁だろう。 五条通を越えて、五条天神の裏を通るとき民家の柱に住所を示すプレートが打ち付けられていたが、ここに「天使突抜通」の名を見つけることができた。
高辻通との交差点付近に道元禅師示寂地の石碑がある。ここから、仏光寺へ抜ける路地が石畳になっている。石畳は風情があっていいが、残念ながらここだけしか残っていない。
通りは七条通を越えると西本願寺系のお寺と仏具店などが軒を並べる。小学校の裏にある一念寺は、実は父の葬儀以来付き合いのあるお寺さんだ。これも何かの縁だろう。 五条通を越えて、五条天神の裏を通るとき民家の柱に住所を示すプレートが打ち付けられていたが、ここに「天使突抜通」の名を見つけることができた。
高辻通との交差点付近に道元禅師示寂地の石碑がある。ここから、仏光寺へ抜ける路地が石畳になっている。石畳は風情があっていいが、残念ながらここだけしか残っていない。
Posted by koyuki at 07:00│Comments(0)
│京の通りを歩く
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