西土居通を歩く

koyuki

2009年08月25日 07:20

 南は九条通より一筋北から、北は仁和寺街道までの約5.1kmの通りだ。途中、JR東海道本線で中断する。 この日は、北から天神通を歩いた後、JR東海道本線の手前で折り返して、歩き出した。 ちょどワコールのビルの裏辺りからだ。 実は最近iPhoneを手に入れた。iPhoneにはNike+と通信する機能が標準で装備されており、以前iPod nanoのときに使っていたNike+(発信器)がまだ使えたので、今回はこれを久しぶりに使ってみた。
 iPhoneのワークアウト履歴を見ると、その日の総歩行距離(天神通+西土居通)は、9.47km、2時間3分、カロリー746となっている。余談だが、今、iPhoneにはまっているので、そのうちBlogにも報告しておきます。

 天正十九年(1591)に豊臣秀吉は、京都に大土堤を築いてしまった。秀吉としては都市防衛のつもりだったのだろう。京都にはその御土居の跡が所々に見受けられる。その御土居の西側に沿ってできあがった通りが、この西土居通であった。
 写真は、高辻通を少し上がったところにある檜児童公園だ。実はこの近くに子供達が通っていた保育園があり、その保育園の運動会などは、ここで行われた。長男が卒園する年には、保護者の会長も仰せつかったことがあり、ここで会長として挨拶をしたこともあるが、今となっては懐かしい日々である。保育園の前を通りかかったら、夏祭りのポスターが張り出してあった。

 ->京都の通り
 
 この通りが御土居に沿って続いていたことを今に伝える物として、御池通りを少し上がったところに市五郎大明神がある。この神社は御土居の上にあった。今もその裏は小高い丘になっていて、林になっている。
 この通り沿い、太子道との交差点東南角には、京都地方気象台がある。この敷地も一部が御土居と堀の埋め立てによってできあがったものらしい。 通りはJR山陰本線の高架下をくぐり、法輪寺(だるま寺)の辺りで少し東へずれて、仁和寺街道に突き当たって終わりとなる。

 もう既に京都の通りを歩き始めて、3年目になるが、その歩き始めが「八条通」だった。そこにも書いたが 「昔辻潤に興味があった頃、この近くの長屋で発刊されていた而シテという本(同人誌?)を買いに来たことなどを思い出した」。 その長屋はまだ健在だった。ワコールのビルの近くにあり、回りにはマンションが建っている。
 「京都の通りを歩く」も100回を越え、残すところ10通り?くらいになった。勿論、小さな路地(ロオジ)は入っていないが、よく歩いたものだ。次のテーマは・・・もう決めているが、終わってからのお楽しみと云うことで。
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