天神通を歩く
天神通(テンジンミチ)は、平安京の時代からあった通りで、その当時は西靫負小路(ニシユキエコウジ)と呼ばれた。北は今出川通から、南はJR東海道本線までの約3.7kmの通りだが、途中、六角通から五条通まで中断している。 今回は北(
北野天満宮前辺り)から歩き出した。今出川通との交差点東北角には、豆腐屋・藤野のTO-FU CAFFEがあるが、女性客が多いので一度も入ってみたことはない。
北野天満宮の鳥居の前から南へ下る通りは、
御前通というのが既にある。この通りの呼び名は、北野天神にちなむほか、この通りに沿って一ノ保社(時鳥天神)と文子天満宮があったことによる。
中世においては、有数の酒屋・土倉の富裕層が町を形成したというが、確かに今も昔ながらの家々が立ち並ぶ。中でも仁和寺街道を少し下がったところにある奥渓家の長屋門(写真)は、その昔の町を想像させる。
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京都の通り
丸太町通の手前に、華開院(ケカイイン)がある。(写真2枚目) 本尊の阿弥陀如来像は近江・坂本の日吉神社の念仏堂から移したと云われる。 寺伝では、康元2年(1257)後深草天皇の皇子法達親王の開基で、後醍醐・光明・後光厳・村上の4天皇の勅願寺として禁裏内道場に準じられたとある。 JR山陰本線の高架下をくぐり、静かな住宅街が続いて、六角通で一端通りは中断する。
五条通から再び通りは続いているのだが、ここより南も天神通ということになっているが、通りの名はどこにも見られなくなる。六角までは、時折町屋の壁などに通り名が書かれた看板が張られていたりする。古い看板には「天神筋」と書かれていたりする。
七条通を少し下がったところに「たまや」といううどん屋がある。町屋をそのまま店にした感じであるが、ここで「肉カレーうどん」(写真3枚目)を食べた。細い麺の京うどんである。コシはないが京都ではこれが普通だ。 通りはJR東海道本線の土手に突き当たって終わりとなる。ワコールのビルの裏辺りだ。
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